Jへの視界

 JFL開幕直前恒例の監督会議。ネットで確認すると、中口監督から「19年J3を目指して3カ年計画をJに提出、今年は4位以上を狙う」との旨のコメントがあった。監督さんがこういう場で口にするということは、正式に動いていると考えていいはず。具体的なスケジュールが出てきたことはこれまでにはなかったはずで、画期的といっていい。もちろん、スケジュールを立てたからと言って承認手続きや順位がその通りに行くとは限らないが、こういった話が出てくること自体、MIOだけでなく、滋賀のサッカー界にとっても大きな一歩といえる。
 
 加盟条件をよく理解しているわけではないが、順位や資金面はいったん脇に置いて、自分としてはスタジアムはどうするんだろうな、というのが今のところの率直な疑問点だ。彦根で改修予定のスタジアムは19年には間に合わなかったと思うし、布引とか水口では不可なんではなかったか(増改築計画があるのなら話は変わってくるだろうが)。ひょっとして皇子山ならいけるのかもしれないが。まあ、19年に間に合わなかったとしても、自治体の保証なりが付いた計画を持っておけばクリアできるのかもしれない。近い将来、湖南地域に専用球技場ができるとは思えない(大津の競輪場跡地でなんとかならないかとは思うが)ので、皇子山や布引などの改修か、彦根の国体スタジアムということを念頭においている、と考えるのが普通の受け取り方だと思う。
 
 この前提(正しくはないだろうが)を踏まえれば、自分としては布引が皇子山がありがたい。アクセスは断然皇子山なのだが、東近江市はいろいろとMIOに良くしてくれている印象があるので、布引でJの試合をすることで恩返しというか、貢献できればなという思いがある。まあ一か所に限定せず、彦根なんかもふくめて県内を巡回してくスタイルでもいいのかもしれないが、国体予算で四苦八苦している現状をみると、そこまで期待するのは酷だろう。

 スタジアムや資金面などをクリアしたとしても、順位条件を満たすのも簡単ではないし、観客動員条件も超えなければならない。強さ=観客数ではないが、ある程度の相関関係はある。勝っても負けても応援してもらえるチームになりたいものだが、「優勝できそう」と「いつも下位」では興味を持つ度合いが違ってくるのは人情だろう。監督さんも今季目標として「4位以上」を掲げている。力みすぎるのもよくないかもだが、具体的なスケジュールが出てきた以上、順位、観客動員ともに大きく飛躍するシーズンにしたいし、そこを目指していくチーム、選手たちを精一杯応援したい。

 

開幕近し

 ACLが始まり、J開幕を明日に控え、新シーズン到来が色濃くなってきた。JFLも一週間弱で開幕となり、先日、全日程も発表された。今季から天皇杯の進行が早まることもあっていつもの年の感覚とは異なるが、日程表を見ている限り暑い時期に遠隔地アウエーが続く、というわけでもなく、MIOにとって結構いい感じではないだろうか。
 スタジアムは布引と甲賀が半々くらいか。アクセス的には皇子山でできる試合があればありがたいのだが、スタジアムとしては布引も甲賀も気に入っているので、今から両スタジアムの青い芝を心待ちにしている。
 目標はやはりホーム全試合と奈良、大阪、三重のアウエー、天皇杯参戦。ここ数年の仕事の具合からして必ずいけない試合が出てくることは覚悟しておかなければいけないが、それでも昨年のようにはなりたくないものだ。加えて、今年は一か所でいいのでアウエーで宿泊込みの観戦をしてみたい。宿泊を伴ったのは天皇杯マリノス再戦の時だけだが、試合後もいつものように帰宅時間を気にしながら急いでスタジアムを後にする必要もなく、中華街に行くなどして楽しかった。時間の都合で東北などは難しいが、東海圏内(Hondaかマルヤスだが)でなんとかしたいし、今治のアウエーも射程には入れときたい。温泉があればベストだが、狭いビジネスホテルでもいいので、アウエーの地でのんびり眠ってみたいなあ。

 公式のほうでは「開幕に全貌が明らかに」といった触れ込みで、なんかの(想像はつかなくもないが)シルエットの一部が公開された。JFL10周年を迎え、チームもいろいろと打ち出していこう、ということだろう。いろんな形で露出を増やして「にぎやかにやってるな」と感じてもらうことは大事だと思うので、当日を楽しみにしたい。

新加入選手など

  大雪とインフルエンザを乗り越え、気が付けば開幕までもう1カ月もない。あと少しで、深緑のステージで躍動するライムグリーンの選手たちがみられると思うと春近し、を感じる。

  ブログを休んでいる間に、新卒+移籍加入選手と背番号、新体制の発表があった。新加入選手はもちろんみていないのでわからないが、活躍してくれるだろうし、長身の選手が多いのでチームの戦い方の幅が広がるのではないかと期待している。新体制では小山選手が2年目にしてキャプテン。経験豊富な永富選手、中村元選手が脇を固める格好だが、小山選手のプレーぶりや、動画などからうかがえる人となりはキャプテンに向いているように思われる。守備もそうだし、ゲームをつくる、うまく進める、という面からもチームの柱になってほしい。

  週末にはTMが組まれているようで、チーム作りは佳境に入りつつあるのかな。激しい競争をしてもらいつつ、寒さによる筋肉系のトラブルやインフルエンザには十分気を付けて過ごしてほしい。

洋書始めてはや…

  いい歳して洋書(英語)に手を出して6年ちかく。読みこなせている自信はないが、生活の一部になってきた。まったく読まない日があると気分よく一日を終えられないので、自分なりになじんできたといっていいと思う。

  高校時代の英語は赤点乱発、英作文と発音を半ば放棄して大学受験をなんとかクリアできた程度に語学力は壊滅的。なのに身の程知らずに洋書を読み始めた理由は2つ。一つはもちろん、読んでみたいから。
  若いころから外国文学はそれなりに読んできた。その中でやはりフィッツジェラルドに惹かれたのが大きい(ドストエフスキーとかゴーリキー、トマスマンなども原書で読んでみたいのだが、英語ですら厳しいのロシア語、ドイツ語はちょっと手を出そうという気にはならない)。何度も繰り返し読んでいるうちに「元の文章はどんな感じなのだろう?」と思うようになるのは、自然なことだった。また、以前から日本の作家の作品が海外訳される、という話を聞くたびに、例えば夏目漱石の「明暗」だったと思うけど「『馬鹿かな、それとも利口かな』を『stupid or clever』みたいな感じで表記したところで、英語で置き換えているだけで、日本語の『馬鹿』と『Stupid』の意味合いはやはり少しずれるだろうし、字面や言葉の響きもふくめた味わいが伝わるものなのかな?」と素朴な疑問を抱いていた。
  それは当然自分が日本語訳で読んでいた外国文学にもいえることだ。優秀な翻訳者の方々が手がけているので、ニュアンスや味わいを外すことはないだろうし、そもそも翻訳していただかないと触れる機会さえないのだから、不遜な疑問ではあるのだが、やはり自分なりに原書にあたってみたい」という欲が出てくるのは抑えがたかった。
  二つ目の理由は、増殖し続ける本をなんとかしないといけないから。
  若いころから読み続け、本は手元に置いていきたい性分。作品や難解さによるが、休日ならば1日複数冊を読み終える、という日もあった。「ちょっとこれはな」という本を手放し、気に入った本を泣く泣く処分しても増え続ける本棚ももう限界。洋書ならば読書ペースがぐっと落ち、本の増加ペースを鈍化できる、と踏んで思い切って取り掛かることにした。

  試行錯誤したが、始める時に決めたことは大きく2つ。楽しむ、続けるために「間が空くと、語学的にも動機的にも読めなくなるので、1ページでもいいからできるだけ毎日読む」「フィッツジェラルドやカーヴァーの世界に触れたいのであって、英語力をアップさせたい(もちろんしたら嬉しい)のではないから、無理に訳さず、わからなくてもあせらない」ことを肝に銘じた。
とりあえず読み始め、最初のころは1日10ページ進むのがやっとだったが、慣れてくると数十ページはいけるようになった。日本語訳で読んでいた本もあるし、オースターのように洋書で初めて触れた作品もあり、再読もふくめれば30冊ほど読み終えたことになる。
 当然よくわからない言い回しや単語、文法は多々あるのだが、辞書を引くのは最小限度に抑えて「わかるとこだけわかればいい」のスタンスで突き進んでいる。根気のなさを「英語学習をしているのでない」という言い訳でもって、「This is a penはThis is a penであって『これはペンです』はあくまで日本語に訳した場合の表現」という論法を作り上げ、頭の中で無理に日本語に置き換えないようにもしている。ものによるが、一冊読むのに一カ月から半年というところだろう。英語学習的には間違っているのだろうし、作品をきちんと理解できているか(ストーリーはなんとかいけてる)と言われると怪しいものだ。ただ、日本語の作品でも、細かいところまできっちり読み込むのは簡単そうで案外難しいものなので、まいいか、ということにしている。理解できた部分でも、これまでに学んだ歴史なりなんなりの知識が役立っている部分も大きいので、英語の読解力がアップしているかどうかはやはり怪しいところだろう。

 それでも、背伸びして洋書を読み始めてよかったな、と感じる場ことは多々あった。フィッツジェラルドのキラキラした中に漂う寂しさに支配されたり、カーヴァーの短編に登場する人物の祈りに思わず引き込まれたり、オースターの幻想的な冒険世界にドキドキハラハラして時間を忘れる瞬間は「錯覚かもしれないが翻訳者の方の手を借りずに作品と向き合っている」至福の時以外何物でもないし、錯覚でもかまわない、と思えるほどである。邦訳で未読だったオースターも知ることができたし、未邦訳の米国視点での現代史モノは新鮮だった。表現も含め「読むという行為」に少し自覚的になれたのも思わぬ副産物だった。
 本の増殖もペース鈍化には成功した。それでも日本語本と読むペースが違いすぎるので、困難だろうが、いずれ洋書が本棚一竿分を占めるくらいにはしてみたいものだ。
 
 

水滸伝と北方水滸伝

 北方水滸伝、いわゆる「大水滸伝」シリーズは、岳飛伝の文庫版リリースが始まり、文庫派としても最終盤に向かいつつある。足掛け10何年になるのか、いよいよ岳飛、という盛り上がりとともに、もうすぐに終わってしまう一抹の寂しさもある。最初は違和感たっぷりだった楊令伝もなじめば面白く、岳飛伝にスムーズにつながった。極端に解釈を変えない限り、岳飛が非業の死を遂げるという結末は分かっているわけだが、それでも登場人物たちの個性あふれる生き方にひかれてしまうのは間違いないところだろう。

 中学生の頃に吉川水滸伝を読んで以来「水滸好き」は続いていて、ちくま文庫の水滸伝に加え、杉本版、柴練版も読んできた。それだけに、北方版の解釈は大きな驚きであった。百八星が一堂に会することはないし、宋禁軍はメチャ強い。招安がない代わりにCIAみたいな組織があり、蘆俊儀は武芸が全然できず、宋江はそこそこ腕が立つらしい。楊志はすぐに死んでしまって、王進師範はずっと登場する、など原典との相違は枚挙にいとまがないが「現代においての反乱のリアリティ」は確かにある。原典みたいに、連日牛の丸焼きで宴会してたら戦には勝てんだろうな、と思う。また、百八星の後ろのほうの、原典ではほとんど数合わせのような弱キャラにもしっかりと描写があり、弱キャラだけに共感を覚えるところも多いのも魅力だ。超人的な武芸を誇る豪傑たちの戦闘シーンとともに、兄の死体を見た曹正が怒りで頭に血をのぼらせ、それがあざとなって消えない、といった些細なエピソードが、自分にとっての北方水滸伝の魅力といえよう。

 ただ日本の作家が書いてきた従来の水滸伝以上に原典から変わっているので、これだけヒットして北方版を機に原典に入る人も多かろうと想像される中、原典のドン引き描写がどう受け取られるのか興味深いところでもある。黒旋風は明らかにヒーローというよりはただの殺人狂だし、彼に世話になった知事の息子さんを殺されてやむなく百八星入りする朱同の心理はなかなか理解するのが難しい。そのあたりは中国の「天命」観なのだろうが、そこが日本人にはとっつきにくかったり、だからこそ興味深かったりする。三国志はもう日本に定着しているといってもいいので、北方版が売れることで、水滸伝も三国志並みに定着してほしい。
 
プロフィール

蹴球四十雀

Author:蹴球四十雀
滋賀のサッカーJFLチーム「MIOびわこ滋賀」を心の底から応援しつつ、たまにフットサルで息を切らす。一方、書斎での濫読(純文ラノベ歴史ノンフィクション)や琵琶湖周辺の野山歩きもこたえられません!

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