関西リーグ

 アクセスしやすい西京極で関西リーグがあり、かつ時間もあったので出かけてみた。2部のラランジャVSディアブロッサ目当てで足を運んだが、着いたら1部のアルテリーヴォVSレイジェンドの最終盤で、2試合開催だったと知った。

 レイジェンドの試合に関しては、それまでのスコアや暑さなどからか、アルテが一方的に押し込んでいて、レイジェンドは完全に足が止まっていた印象を受けた。ボールを奪っても、吉田選手以外に前へ出る推進力がないように見えた。まあ2年前の天皇杯で感じたが、アルテは普通に強いので仕方なし、だろう。2部降格もあり得る状況のようだが、まだ試合は残っているのでどうなることか。

 ラランジャのゲームは、ほぼ2バックでサイドに人を張らせ、ショートパスで攻め込むラランジャが、終始主導権を握っていた。ディアブロッサは見事なミドル2本でうち1本が決まったが、裏を返せばそれくらいしか得点機はなかった印象だ。ラランジャは、サイドと中のパスの出し入れのリズムが素晴らしく、2-1のスコアだったが5点とってもおかしくない出来映えだったと感じた。

 地域リーグ観戦は久しぶりなので、応援なども気になったが、アルテは結構な数の声出し応援団で、レイジェンドはほぼなし。ラランジャ、ディアはそれぞれ1、2人、というところか。と書いたが、別に声出しサポーターの人数の多寡が大事なのではなく、それぞれに懸命に応援されておられて「いい感じ」だった。
 またラランジャはスクールのお子さん、保護者が多数来場していた。試合直前の緊迫したアップやHTの出入り時に、最前列から子供たちが「コーチ今日でえへんの?」「えっコーチってキーパーちゃうかったん?」と無邪気に声をかけ、選手も「おれキーパーちゃうわ」などと応えている光景はなかなか新鮮だった。
 Jはもちろん、JFLでもなかなかこうはいかないだろうし、できる雰囲気ではないだろうが、地域リーグならこれもあり。むしろこういうムードこそ「地域密着」には大切なのかな、と感じた。いつも教えてもらっているコーチのお兄ちゃんのプレーに熱狂して、声援を送って、という姿は応援の原点ともいえる。声出しがどう、サポーターの人数がどう、というよりも大事なものを感じたし、こういう光景が広がっていけば、サッカーは本当に地域に、日本に根付くんじゃないかと思う。

vsソニー仙台

 2-3で敗戦の模様。
 ソニー仙台にはなかなか勝てないな。JFL昇格当時は結構勝負になっていた記憶がある。当初はパスサッカーのイメージがあったが、ここ数年はフィジカルがかなり強い印象で、大敗も喫してきた。ソニー自体も優勝争いの常連といった感が出てきた。
 ただ負けはしたものの、最後までしぶとく食らいつく試合ができたのは大きい。昨年や前期であれば、先制されてからずるずるといって結局0-3、というような内容だっただろう。チームとして底力が上がってきた、と思いたい。

vs八戸

 0-0で勝ち点1積み上げ

 ネット中継でチラチラと見ることができた。画像の飛び具合が目に厳しく、細かいところはよく分からなかったが、八戸の執拗な攻撃に耐え、反撃の痕もしっかり残せた印象だ。タイプは違うが、後期初戦のHonda戦に似ているとも感じた。あわや、というシーンが何度かあったが、永富選手と両CB陣がしっかり体に当てて防いでいた。後半にMIOも好機はあったが、決定機は八戸が多かったので無失点で勝ち点1をとれたことは上々だといえる。前期ならば落としていたかもしれない試合だったといえるが、やはりCBがあれだけ強固に守れると、強豪相手でもそうやすやすとゴールを割らせることはなく、勝ち点確保につながってくることを再認識できた。
 この試合は馬場選手が中盤に入ることで、ボール回しも少し余裕を持てたように見えた。昨シーズンの序盤を思い出すようなシーンもあり、カウンターと遅攻を試合展開に合わせて使い分けられるようになってきたのではないか。
 攻撃陣に関しても、SBの攻撃参加を中心に、崩しの精度向上が定着してきた印象だ。八戸の守備陣も堅固だったのでゴールを割れなかったのは残念だが、手応えはあるように思う。あえて言えば、クロスの正確性アップだろうか。

 兎にも角にも、上位相手にこういう試合をして勝ち点1確保、という結果は今後に効いてくるはず。これからの試合もまだまだ楽しみだ。

金庸は喪失の物語

 武侠映画を入り口に金庸にハマったのはもう15年以上前か。「書剣恩仇録」を皮切りに刊行順に手を出し、古本屋を回って全巻入手し、割に早く読み終えた。なんと言っても武術の達人、英雄好漢が次々に繰り出す絶技、大陸を所狭しと駆け回る冒険行、義理と人情、宿縁と恋情の狭間を行き来する登場人物たちの魅力がこの上ない。
 武侠モノの最高峰であると同時に、折りに触れて読み返すにつれ「喪失の魅力」を備えた物語でもあると感じるようになった。「天龍八部」では喬峯は愛する人を失い、段誉は両親を失い、虚竹は両親を知った日に両親を亡くし、慕容復は祖国再建の夢を失う。「笑傲江湖」の令狐沖は、初恋の人も兄弟弟子も育った門派ごとなくなってしまうし、「射雕英雄伝」の郭靖も父母、師匠たちを亡くし、英雄となっても結局国に殉じていく。「神雕侠呂」の楊過と小龍女も、一度は互いを失っており、「倚天屠龍記」の張無忌は最後の最後に仲間を失う。「飛狐外伝」や「雪山飛狐」はいうまでもないし「侠客行」のラストは悲しすぎるほどである。何も失わずに終わるのが絶筆の「鹿鼎記」なのは、喪失の物語ばかり書き続けてきた金庸の意図なのだろうか、と勘ぐってしまうほどだ。
 強さを極め、門派を立ち上げ、何かとうるさい世間でまっすぐな、あるいは軽妙な生き方を貫く主人公たちは、何かを失った悲しみと諦念を抱えて、歩んでいく。その喪失が「正道」を進みながらも人の世の浮き沈みに対する静かな視線を、主人公たちに獲得させていくのだろう。基本的にエンタメなのだが、全作を読むと、そこには激動の現代史を生きてきた金庸の人生観も反映されているのかな、と考えてしまう。

下鴨納涼古本まつり

 下鴨神社で毎年8月中旬に開かれる「納涼古本まつり」に初めて行ったのは、お金がなかった学生時代。社会人になって足が遠のいたが、通いを再開してもう10年近くになる。大規模な古本市はほかにもあるけれど、お盆あたりの、だらん、とした暑さの中、下鴨神社の境内にテントが立つのがいかにもお祭りで楽しい。地味な本好きの世界にも、たまにはこれくらいの華やぎがあってもいいか、と思う。
 
 本漁り中にいやでも目に入るのだが、楽しみ方は人ぞれぞれ。狙いの本や関心分野を中心にじっくり探す人、ふらりと立ち止まって江戸末期あたりの和書を手にとって「面白そう」とはしゃぐ人、そういった来場者も含めて会場全体の空気を写真に撮ってSNSに投稿する人など、多様で「こういう楽しみ方もいいな」といつも刺激される。
 来場者もいかにも本好きな高齢男性や女性だけではない。おしゃれな若い男女が難解な哲学書に手を伸ばしていたり、外国の方が日本人でもなかなか読まないだろう仏教書を品定めしていたり、観光客が浮き立った様子で写真を撮っていたり、と見ているだけで面白い。立地もあるのか、高名な大学の先生や文化人の姿をたまに見かけると、自分も少し賢くなったように錯覚して、やや気分がよい。

 自分はある程度目当ての本(絶版のもの中心)と予算の上限を決めて朝から収納用のリュックで出かける。涼しい下鴨神社とはいえ、人出で暑いので帽子にサンダル、リュックの中には水筒を備えている。
 テント群の端からしらみつぶしに棚を見て、目当ての本、気になる本があれば買っていくスタイルだ。立ちっぱなしなのでお茶休憩に加え、境内の川で手足を冷やす、下鴨神社ならではのクールダウンがありがたい。狙った本や「おっ」という本と出会うと実に嬉しいもの。反対になかなか目当ての本に出会えず、かつ気になるほかの本が出てくると、時間とともに焦りも出てくる。
 しかしそこは焦っても仕方がない。昼食(境内のうどんか出町まで足を延ばすか)を挟んで渉猟を再開、残りのテントを潰していくと、何だかんだと見つかるものだ。予算の8、9割で押さえるべき本を押さえ、あとは気になる本、関心のあまりない分野を冷やかすのも大規模な古本市のよさ。戦前の雑誌や江戸末期の和書を開くと、気分も出てくる。
 いつしか日が傾くころになり、予算枠いっぱいまで買うとリュックはずっしりと重く、肩も足もパンパンに痛い。それでも満足感と、後ろ髪引かれる思いを胸に境内を去る心地はなんともいえない。
 帰宅すれば買った本を並べて手に取り、本棚に移す楽しい作業も待っている。そしてその時点から来年は何買おうか、と思い始める、実に充実した一日となるのだ。
プロフィール

蹴球四十雀

Author:蹴球四十雀
滋賀のサッカーJFLチーム「MIOびわこ滋賀」を心の底から応援しつつ、たまにフットサルで息を切らす。一方、書斎での濫読(純文ラノベ歴史ノンフィクション)や琵琶湖周辺の野山歩きもこたえられません!

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