日本代表と育成と

  ひさびさにMIOを少し離れて。

  ヘルタの原口選手好きなので代表の試合もみるが、最終予選2試合を終えて一勝一敗という結果なので、メディアで目にする「危機感」は20年以上前にサッカーを見始めてから初めてかも、というくらいすさまじいものがある。仏W杯予選でも当然危機感報道はなされていたが、代表の力との相対関係でいうと、やはり今回が最大級のものではないか、と感じる。
  わからないではないし、こういう報道があるほうが健全ではある。それでも、時としてちょっとやり過ぎかな、とも思う。例えば「UAEが普通に強かった」という評がある。もちろん弱くはなかったし、日本のつまらないミスがあった。しかし、あの試合の日本とUAEの祖試合内容を取り換えて日本が勝ったのなら、メディアは日本を評価するだろうか?「相手に助けられた運の勝利」「内容では圧倒されていた」というのがせいぜいだと思う。タイ戦では「ゲームコントロールが拙かった」という評論を見た。その通りだと思う。リードしてるんだから、後ろでタラタラ回して時間使って、相手がじれて来たら得点を狙えばいい、と思う。しかし、そうしていたら「得点してからペースが落ちた」と評してきたのが、専門誌も含めてこれまでの日本のメディアだ。長年にわたって、これどう考えてもただのTMだろう、という程度の親善試合にもことあるごとに細かい注文をつけているのだから。選手もチームも「すべての時間帯で点を取れる試合をしないと批判される」という意識が刷り込まれてもおかしくはない。
  高い要求を突きつけるのは大事だけれど、スコア差=実力差ではないのだし、そのあたり特に専門誌やちゃんとしたライターさんがうまく伝えてほしい。見聞する限りでは、「指摘するべきところは指摘し、見極めることろは見極める」点で、日経新聞が一番バランスの取れた評論になっていると感じる。

  同時に湧き上がってくるのが「育成」問題。これも20年以上前からいろんな切り口から語られているテーマで、常に大きな命題としているのは日本サッカーのいいところだ。しかし、こちらも代表の不調と合わせて「失敗」だの「危機」といったヒステリックなワードが目立ってきたように感じる。こちらに関しては、大きな方針はともかくとして、いいすぎることで現場の指導者に対して失礼だったり、的外れな指摘になって、現場の意欲をそがないかな、という心配がある。この場合の育成は、小学校から高校年代を指すのだろうが、この年代は多感な頃でもあり、「一つのことを集中して聞いてもらう」「わかるようにしっかり伝える」だけでどれだけの根気、労力を必要とするのか、学校の先生なり、塾講師の経験者なり、保護者なりだとすぐにわかることだと思う。意識の高いサッカーエリートの子供たちだって、サッカー以外のいろんなことに関心があって、遊びたいのは当たり前。みんながみんな、海外や代表を目指しているとも限らない。そういう子を相手に「個の力で戦える」「戦術理解度を上げる」といった、ともすれば漠然とした大きな方針を、コーチングなり、練習メニューなりで具体的に現場に落とし込んで、意欲をもって継続させていくことがどれほど大変なのか、もう少し想像力を働かせたほうがよい。
  「サッカー批評」を読んでいたら、高校の指導者の方が「小中学生年代の指導者にもっと光を」という旨のことを言っておられた。現場をよく知っておられる人の発信だけに重みがあるし、「育成問題」を指摘しておけば、なにか鋭い切り口の特集ができたような気になっているサッカーメディアはよく考えてほしい。
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蹴球四十雀

Author:蹴球四十雀
滋賀のサッカーJFLチーム「MIOびわこ滋賀」を心の底から応援しつつ、たまにフットサルで息を切らす。一方、書斎での濫読(純文ラノベ歴史ノンフィクション)や琵琶湖周辺の野山歩きもこたえられません!

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