MIOを好きになったわけ②

 2008年3月、JFL開幕ゲームは守山の佐川スタジアムでのSAGAWA戦。MIOは平岡さんを新監督に迎え、JFL初戦に臨んだ。SAGAWAは前年優勝チーム。さすがに楽観的だった私も、前年のSAGAWAの試合は1回みており、この試合は引き分けたら大健闘、と思っていた。思っていたところで、アラン選手の2ゴールでなんと勝利。浦島選手は右SBだったな。この勝利で「少なくともホームは全試合観戦だろう」との気持ちは完全に固まり、MIOの試合に足を運ぶのが楽しく、その日が待ち遠しくなる生活が始まった。

 出だしは調子よかったこともあり、これはいけるんじゃないか、県内でも人気出るだろう、と楽観に拍車をかけていた5月あたりに一転、JFLの厳しさを思い知らされる日々が続いた。お客さんも徐々に減ってきて、私の楽観はどこかにすっとんでしまった。そういえば、今まで強いMIOしか見ていなかったなあ。今にいたる、あんまり強くないMIOの始まりでもある。いつしか監督は東さんになり、それでもなかなか勝てない日が続いた。岡山や富山、栃木という、この年にJFLを卒業することになるチームのアウエーでの観客やメディアの多さも目の当たりにし、はっきりと、MIOにとってJは遠い現実を知ることになった。

 でもピッチに目を向けると、いつも懸命な選手たちがいた。記憶はもう、かなり鮮明になってくる。当時のホームスタジアム、湖南は今以上に選手との距離が近い、というか観客と出口が一緒。引き上げる選手たちの足はいつも、傷と青あざだらけ。安部選手が涼しい笑顔で、脛から血を流しながら足を引きずって駐車場に向かう姿は今も忘れられない。勝てなかったが、その安部選手が相手DFを猛然と追い込んで奪ったボールをねじ込んだゴールも、悪天候の湖南で大江選手のクロスにアラン選手がきれいにあわせたゴールも、若林選手がアルジェリア代表GKから奪った50㍍級ロングシュートも。左SBで出ていた桝田選手のゴールもくっきりと覚えている。選手、スタッフさんともに負けたときにみせる悔しそうな表情、数少ない勝利の時の喜びよう。その姿をみているうちに、強いチームじゃなくてもいい(もちろん勝ってほしいのだけど)、この選手たちを応援しよう、応援したいんだ、と思うようになる。

 2009年、和田さんを監督に迎え、攻撃サッカーで躍進したこの年、その思いは確固たるものになった。攻撃サッカーで躍進したから、ではない。6月末のホーム鳥取戦だったと思う。6月とはいえ、炎天下でのゲーム。MIOは鳥取相手に、攻撃の内容でも運動量でも圧倒し(見ていて負ける気は全くしなかった)3-1で勝つ。試合後、今と同じように湖南のバックスタンドのサポーターさんのところに選手があいさつにきた。礼をする選手たちに拍手した。礼を終えた選手の1人がふらり、と倒れた。熱中症だな、とすぐにわかった。細貝選手だった。ほかの選手が背負って、メーンスタンド側に引き上げていった。体調が悪いのならば休んでいて当然だ。それでも、あいさつに来てくれた。一生懸命プレーしている姿を見せてもらっているだけでも満足しているのに、そんな姿まで見せられて心を鷲掴みにされないわけがない。

  どうやらその試合の帰途、もうMIOから抜けられないし、抜けたくもないぞとはっきり感じたらしい。

 それからも、勝てない年が続いた。打ちのめされるような大敗も何度も見た。選手たちも毎年大幅に入れ替わってしまう。それでも、細貝選手の背負われた姿や安部選手の脛の傷が忘れられないし、その分、勝った時の選手の笑顔をみていると本当によかったなあ、とうれしくなる。見始めのころは、勝っているMIOが好きで見ていたのかもしれない。今は強いMIOがすき、というより勝つと選手やスタッフさん、サポーターさんたちが笑顔になるから勝ってほしい、という思いが強くなっている。(了)
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蹴球四十雀

Author:蹴球四十雀
滋賀のサッカーJFLチーム「MIOびわこ滋賀」を心の底から応援しつつ、たまにフットサルで息を切らす。一方、書斎での濫読(純文ラノベ歴史ノンフィクション)や琵琶湖周辺の野山歩きもこたえられません!

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