女子サッカー、終わりでも何でもない

  五輪は逃したが、予選最終戦、なでしこらしい点の取り方と粘りの守備で勝ったのはよかった。まさか、といえばまさかの敗退なので世間的な反響は大きい。批判も大きいが、考えてみれば、北京五輪4位、W杯優勝、ロンドン五輪銀、W杯2位という、はっきりいってとんでもない戦績を残してきたチームなのである。女子の場合、W杯と五輪はほ等価値ともいえることを考えると、男子に当てはめたら近年のドイツとか、ちょっと前のブラジルみたいなもんで、日本サッカーにおいてはどれだけ称賛されてもいい偉業だ。
  もちろん、スポーツなので試合内容への適切な批判、批評は絶対にあったほうがいい。前のW杯でサイクルを終えたチームだとは思うが、その認識と、その上で偉業をたたえる気持ちはなんら矛盾するものではない。このあたり、区別をつけていない報道などが散見しているように思われる。

  不遇の時代から一気に世界の頂点、という幸福なストーリーは、思えば「女子サッカーが生き残るためには結果を出し続けないと」という、選手、現場の悲痛なまでの叫びと表裏一体だったし、その響きは今も続いている。宮間選手の「女子サッカーを文化に」という発言もその響きの一つだといえる。
 今回の結果で早くも女子サッカーへの影響を心配する声が報道などであふれているし、宮間選手も相当に悲壮な表情でインタビューに応じている。 当然、影響はゼロではないだろう。ゼロではないだろうし、責任感の強い選手たちなので悲壮な思いを抱えてしまうのは仕方ない。ただ、もうそろそろ「結果が出なければ女子サッカーは続かない」という、重すぎる叫びを終わりにすべき時期にきている、と感じる。それは選手たちがどうこうするべき、という話ではなく、協会やファンが普及なり応援で重荷を分かち合っていく、ということだ。選手である以上、結果にこだわるのは当たり前なのだろうが、周りがそれにとらわれすぎると、かえって選手たちを追い詰めてしまう。代表戦とリーグ戦は違う、といわれればそうかもしれないが、勝ちチームがあればその隣には負けたチームがいる。極端な話、負けたチームは消滅しても仕方ないのか、なんの価値もないのか、といえばそんなことは全然なくて、そこで選手が一生懸命プレーし、サポーターが熱心に応援することで生まれる熱気やくやしさにも十分意義があると思う。重荷を分かち合っていく、と書いたが、本当はそうではなくて、楽しみをともにしていく、ということなのだろう。
 
 勝利の喜びはもちろん、負けのくやしさも選手だけでなく、いろんな人たちとかみしめながらサッカーをやっていく国のほうが、いかにW杯を取ろうと、一度出場を逃すとサッカーそのものが消滅してしまう、という国よりはいいと思うし、結果強くなると思う。宮間選手は一部では代表引退、とも言われている。真偽のほどは定かでないが、仮に引退するとしても、まだサッカーを続けるなら、やることは残っている。それは普段のリーグ戦で一生懸命に、楽しんでプレーする姿をサポーターに見せてくれることだ。待っている人はたくさんいるはず。そんな姿がある限り、女子サッカーは終わりでもなんでもない。どうしてもMIOばっかりで、なでしこLは1回しか行ったことないが、またいってみよう。

  
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蹴球四十雀

Author:蹴球四十雀
滋賀のサッカーJFLチーム「MIOびわこ滋賀」を心の底から応援しつつ、たまにフットサルで息を切らす。一方、書斎での濫読(純文ラノベ歴史ノンフィクション)や琵琶湖周辺の野山歩きもこたえられません!

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