五輪最終予選

  事前の危機感が奏功したのかどうなのかはわからないがここまでは順調。しかしすべては準々決勝、準決勝にかかっている。一発勝負ではチーム力どうこうとも言ってられないだろうから、とにかく勝つしかない。

  今回のチームについてはレッズの関根選手びいきなので人選にはうーん、というところだが、監督の専権事項なので仕方ない。人選については大いにアレだが、手倉森監督の強かそう、というか「勝てばいいんだろ」的な図太そうなところはこの年代には必要だと思っているし、評価したいところだ。いいサッカー、内容のあるサッカーはもちろん大事だが、自国の戦力と相手を見て、結果を出すための最善の手を打つ、という発想をきちんと押さえているように思える。北朝鮮戦もタイ戦も、相手がPAあたりまでボールを運ぶと民放は特に、BSでさえ時に実況の声が強まり「ピンチ感」が一気に上がって、やられっぱなしのように錯覚してしまう。しかしよく見返すと、2戦とも枠をとらえた決定的なシュートはあまりなかったように思うし、惜しいというのなら日本のほうがポストを叩いた数は多かったはず。北の攻撃は迫力はあったかもしれないが「黄金世代」を長期間拘束して鍛えぬいた結果のサッカーがあれか、とも思うし、タイのメッシは確かにうまいが突破のためにあのテクニックを使っていなかったので見ていて怖くはなかった。
 油断しない、向上のために常に危機感を持つことはいいことだが、彼我の力をきちんと見極めることも同じくらい大切だと思う。もちろんチーム力がそのまま結果に結びつく割合が低いのがサッカーではあるが、日本の場合は1試合負けると、=チーム力が低かった、日本のサッカーのレベルは全然ダメ、で終わらせる傾向が強い。
  思うに、最初から、あるいは結果が出なかったときに「日本はだめ」と結論付けておくのは、心理的に楽ちんなのだ。負けた心理的ショックを緩和できる。また勝ち試合でも「追加点が取れなかった」「押し込まれた時間があった。これでは先が思いやられる」とするのも同様の心理が働くのだとおもう。何事も楽観視するよりはいいのかもしれないが、そんな窮屈な心持だけでサッカーを見たり、伝えたりして楽しいかなあとも思う。タイ戦は全国紙のベテランサッカー担当の方が「2-0の状態で相手に付き合ってオープンなサッカーする必要がない」という趣旨のツイートをしておられた。試合運び、ということを考えてもまことにその通りと思うが、その場合辛口を自傷する評論家の方々は「タイ相手に追加点が取れないのは云々」とおっしゃりそう。すべてに完璧なサッカーを求めるのは、かえってサッカーの幅を狭めているようにも思う。

  ということで、ひいきの関根選手がいない(本番にはぜひ)こと以外はなかなかにいいチームやん、と思ってみているのだが、決勝Tは一発勝負。そりゃ負けてしまうことだってあるだろう。ただその場合でも、勝負をものにできなかったチームや監督が批判されるのは当然として、」このチームがまったくもってダメだったとか、日本サッカーの水準がどうしようもないとは全く思わない。もちろん残念だし、関根選手選んどけよ、と思うに決まっているがGLを抜ける力はあったわけだから、まー負ける時もあるわなーと受け取るだろう。「五輪」をこと重視する日本なので、仮に敗退した場合の批判は大きいだろうし、大きくてもいいのだが評論家の方々には「だから日本サッカーはだめ」という安直な思考停止的結論にだけは走らないで、なにができて何ができなかったのか、をきっちり分析していただきたい。幸いにも、というか、近年はネットでそのあたりをきっちりおさえてくれるK氏、S氏をはじめとする若手評論家の方々も出てきている。こういう方々の評論を読むと日本にサッカー文化が根付きつつあるのもまた事実、と感じる。
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蹴球四十雀

Author:蹴球四十雀
滋賀のサッカーJFLチーム「MIOびわこ滋賀」を心の底から応援しつつ、たまにフットサルで息を切らす。一方、書斎での濫読(純文ラノベ歴史ノンフィクション)や琵琶湖周辺の野山歩きもこたえられません!

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