女子決勝を前に

 サッカー女子代表が米国との決勝を控える中、毎日新聞にこんなコラムhttp://mainichi.jp/opinion/news/20120809k0000m070130000c.htmlがあった。また引き分け批判か、と思いながら読んだが、コラムの筆者には根本的な誤解、あるいは理解不足がある。まず「わざと勝ちに行かなかった」というが、終盤になって、勝ちに行って負けるリスクを高めるよりは無理して攻めなかった、というだけだ。そもそも相手と談合していない以上「勝ちに行ったら確実に勝てる。絶対に引き分けない、負けない」なんて保障はないわけで、なんでこれが批判の対象になるのだろう。「南アは日本の意思次第で絶対に勝てる相手」と言っているのと同じで、結果的に南アをバカにしていないだろうか?リスクを冒さなかったのは不備としか思えない大会運営もあってのことで、1位がよければもちろん全力で勝ちに行くだろう(勝てるかどうかは別だ)。
 また、このコラム中の「世間に説明が難しい不都合な真実」という、女子代表が不正を働いたと言わんばかりの表現は不適当だ。「業界内の常識は世間の非常識」という事例は相撲の八百長問題のようにたくさんあって、その中には明らかに見過ごせない不正も多い。ただ今回は「説明が難しい」ケースでもなければ、「不都合な真実」でもない。印象操作としかいいようがない。
業界の論理に引きずられて不正をするな、というのは一般論としてその通りだが、今回のケースはまず不正でない。それ以前に「世間の常識にあわせよ」(そもそも今回は世間の常識から外れているか?と思うが)という傲慢な姿勢だけでなく、「どうして引き分け狙いだったのか。サッカーとはどんな戦略で動くスポーツなのか」をまず理解して、それから論じてみようとする姿勢を持てば、とてもこんな話は書けないはずだ。筆者は自分の理解不足を露呈して「サッカーのことを何も知らない自分の感覚が正しい」といっているだけではないか。要するにサッカーを引き合いに、政治や行政にからめて「業界の常識は世間の非常識」といいたいのだろうが、持論の主張のために無関係のサッカーを引き合いに出す、しかもミスリードするやりかたはフェアではないし、共感できない。

 「対戦相手に敬意がないのか、という声も」との記述もあるが、誰が言っているのかも分からない。南アを間接的に「日本の意思次第で負けるのが当然な相手」と軽視しているのは筆者な上に、結局は日本から点を奪えなかった南アフリカに力がなかっただけだ。そもそも終盤は南アも前に出てこなくて、初の勝ち点1獲得で満足していたようにも見えた。日本サッカーも弱い時代はメンバー落ちの強豪国にで適当にあしらわれたことは何度でもある。応援していて悔しさはあったが「敬意を欠いている」とは思わなかった。「なめられるほど弱いので仕方がない、力を付けて見返さねば」となって成長してきたのが日本サッカーの歴史だったはずだ。

 「勝ち負けを全力で競うのがスポーツ」というのは一見正論だが、ほぼ勝ちが確定した状態で「流す」のは当たり前に見られる。野球で大差が付いた試合で最後まで盗塁などをするだろうか?大きく点差がつくと試したい選手を入れたりするケースもよく見かける。それらも含めた批判も結構だが、現実的に大差が付いたり、予選勝ち抜けが決まっている場合での「全力」といってもどこまでやれるものなのだろうか。そもそも「全力」の定義が分からない。毎回試合後に倒れるまでやるのが全力なのか?
 今回大会に限らず、陸上や水泳の予選でも中盤以降で予選通過がほぼ確定すると露骨に力を抜くし、それを批判する声など聞いたことがない。例えば陸上短距離で日本人選手がボルトと同組になり、日本人選手は全力を尽くすも敗退し、余裕のボルトは終盤歩くようにゴールしたとして、日本人選手や日本のファンは「力の差があった。悔しい」とは思うだろうが、「ボルトは敬意を欠いている。共感できない」と思うだろうか。
自分は中高で陸上部に所属し、予選落ちばかりの弱い選手だったが、力を抜いて予選突破する選手を見て「力があるからこそ出来ることで、むしろかっこいい、自分もああいう風に力を付けて流してみたい」と思ったものだ。実際2度だけ運良く予選抜けをした時に、最後を少しだけ流せて、何となく強豪の仲間入りをしたような気分の良さがあり、つらい練習を重ねてきてよかった、と思えた。

「正々堂々、小細工をせずに常に全力で美しく勝利を」。理想論であり、正論だ。だがそれはあくまで一定の価値観で絶対的な価値観ではない。理想を実現する、あるいは理想を追求する選手やチームはほめたらよい。理想を実現できないから、あるいは理想を追求しないことをほめなくても良いが、批判するのはどうしても理解しがたい。その論理を突き詰めると「(私の価値観とする)理想を追求して勝てばいいし、理想さえ追求すれば負けてもいいから」ということになる。「理想を追わない勝利には何の意味もない」ということと同じで、そういう価値観はあってもいが、いろんな事情で理想を追えずにプレーしている選手の思いをくみ取ろうとする謙虚さはかけらもなく、まして敬意や愛情はみじんも感じられない。
 同じ毎日新聞のコラムで「ゴーストランナー」の話があった。こういう話は自分も好きだしスポーツの魅力の一つだ。時代や背景は違えど、サッカー女子代表も自分たちの矜持をもって戦っているのは、ピッチでの戦いをしっかり見れば伝わってくるはずなのだが。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

蹴球四十雀

Author:蹴球四十雀
滋賀のサッカーJFLチーム「MIOびわこ滋賀」を心の底から応援しつつ、たまにフットサルで息を切らす。一方、書斎での濫読(純文ラノベ歴史ノンフィクション)や琵琶湖周辺の野山歩きもこたえられません!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード