アギーレ解任とアジア杯敗退

 アジア杯はいいサッカーできているなあと思っていたところで敗退。残念だが負けるときはこんなものであろう。そして敗退と合わせるように、八百長疑惑告発受理でアギーレ監督解任となった。監督の能力云々というより、今後の代表活動への影響を考えて、ということだそうなのでまあやむを得ないところだろう。当然推定無罪の原則はあるにしても、聴取や召喚などで影響がないとは言い切れないし、通常の会社などでも首にはしないまでも一時別の業務に移したり、ということはあるだろうし。

 で、敗退と解任に合わせ、ここのところ日本サッカー危機論、とでもいうものが根強い。アンダー世代の敗退などと合わせおおむね「アジアでも勝てない」「世代交代が進まない」「次のW杯出場も危機」といった内容だろうか。中には「暗黒時代に突入か」というものまである。後任監督人事も敗退を受けて「世界との差をどうのこうの」といった論調で語られることが多いようだ。
 一つの競技で敗退と解任でここまで議論が起こるのはサッカーくらいなものだろう。いろんな言説が飛び交って盛り上がるのはいいことだし、危機感や批判は日本サッカーを鍛えていくことにつながるから必要なことだ。と前置きしたうえで、ちょっと悲観的すぎやしないかと思うこともある。UAEに負けたとはいえ、96年(だったかな)クウェートにやられた時とはまるで内容が違うし、世代交代に苦労していない国はない。96年あたりから「中東第2勢力が力をつけてきている」とは折に触れて言われてきたが、結局アジア杯で準決勝どまりというケースが多い。また「黄金世代」後に世代交代がどうこう言われたが、なんだかんだいってその後の世代も結果を出している。結果を出した世代が上にいれば、とってかわりにくいのは当然のことでもある。
 危機感は危機感として協会や選手を向上させていくうえで必要だろうが、さほど悲観的にならなくてもよいのでは、と思うこともある。特に「代表のレベル」が日本サッカーのすべてなんだろうなあと思わせる評論家が、引き合いにJの水準がどうのこうの、と書くときは「国内サッカーは全て代表のためにあらねばならんのか」と息苦しささえ感じさせる。確かにJは代表強化のために作られたといってもいいリーグで、自分も発足時は「代表のためなんだからスケジュールなりなんなり合わせろよ」と思っていたクチだった。今でもレフェリングや球際の守備なんかはもうちょっと激しくしようよ、と思うときもある。
 それでも発足から20年以上たって、JにはJなりのサッカー文化みたいなものも根付き始めて、JFLあたりでもそれなりのサポーターがいる現在、「代表がすべて」というのはもういいんじゃないか、と感じる。各カテゴリーで生活に根ざしたそれぞれの楽しみ方をして、もしW杯に出られないことがあっても「残念だったけど週末の試合で楽しもう」という人が増える方が豊かだ、という考え方もある。もちろんライト層を引き付けるにはW杯で結果を出してほしいし、W杯に出られないのは良いことではないが、代表が全て、としておいて「出られませんでした、日本サッカー終わりました」では困る。危機感をあおるのもいいが、もう少し足元にも目を向けてもらえないものか。
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蹴球四十雀

Author:蹴球四十雀
滋賀のサッカーJFLチーム「MIOびわこ滋賀」を心の底から応援しつつ、たまにフットサルで息を切らす。一方、書斎での濫読(純文ラノベ歴史ノンフィクション)や琵琶湖周辺の野山歩きもこたえられません!

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