洋書始めてはや…

  いい歳して洋書(英語)に手を出して6年ちかく。読みこなせている自信はないが、生活の一部になってきた。まったく読まない日があると気分よく一日を終えられないので、自分なりになじんできたといっていいと思う。

  高校時代の英語は赤点乱発、英作文と発音を半ば放棄して大学受験をなんとかクリアできた程度に語学力は壊滅的。なのに身の程知らずに洋書を読み始めた理由は2つ。一つはもちろん、読んでみたいから。
  若いころから外国文学はそれなりに読んできた。その中でやはりフィッツジェラルドに惹かれたのが大きい(ドストエフスキーとかゴーリキー、トマスマンなども原書で読んでみたいのだが、英語ですら厳しいのロシア語、ドイツ語はちょっと手を出そうという気にはならない)。何度も繰り返し読んでいるうちに「元の文章はどんな感じなのだろう?」と思うようになるのは、自然なことだった。また、以前から日本の作家の作品が海外訳される、という話を聞くたびに、例えば夏目漱石の「明暗」だったと思うけど「『馬鹿かな、それとも利口かな』を『stupid or clever』みたいな感じで表記したところで、英語で置き換えているだけで、日本語の『馬鹿』と『Stupid』の意味合いはやはり少しずれるだろうし、字面や言葉の響きもふくめた味わいが伝わるものなのかな?」と素朴な疑問を抱いていた。
  それは当然自分が日本語訳で読んでいた外国文学にもいえることだ。優秀な翻訳者の方々が手がけているので、ニュアンスや味わいを外すことはないだろうし、そもそも翻訳していただかないと触れる機会さえないのだから、不遜な疑問ではあるのだが、やはり自分なりに原書にあたってみたい」という欲が出てくるのは抑えがたかった。
  二つ目の理由は、増殖し続ける本をなんとかしないといけないから。
  若いころから読み続け、本は手元に置いていきたい性分。作品や難解さによるが、休日ならば1日複数冊を読み終える、という日もあった。「ちょっとこれはな」という本を手放し、気に入った本を泣く泣く処分しても増え続ける本棚ももう限界。洋書ならば読書ペースがぐっと落ち、本の増加ペースを鈍化できる、と踏んで思い切って取り掛かることにした。

  試行錯誤したが、始める時に決めたことは大きく2つ。楽しむ、続けるために「間が空くと、語学的にも動機的にも読めなくなるので、1ページでもいいからできるだけ毎日読む」「フィッツジェラルドやカーヴァーの世界に触れたいのであって、英語力をアップさせたい(もちろんしたら嬉しい)のではないから、無理に訳さず、わからなくてもあせらない」ことを肝に銘じた。
とりあえず読み始め、最初のころは1日10ページ進むのがやっとだったが、慣れてくると数十ページはいけるようになった。日本語訳で読んでいた本もあるし、オースターのように洋書で初めて触れた作品もあり、再読もふくめれば30冊ほど読み終えたことになる。
 当然よくわからない言い回しや単語、文法は多々あるのだが、辞書を引くのは最小限度に抑えて「わかるとこだけわかればいい」のスタンスで突き進んでいる。根気のなさを「英語学習をしているのでない」という言い訳でもって、「This is a penはThis is a penであって『これはペンです』はあくまで日本語に訳した場合の表現」という論法を作り上げ、頭の中で無理に日本語に置き換えないようにもしている。ものによるが、一冊読むのに一カ月から半年というところだろう。英語学習的には間違っているのだろうし、作品をきちんと理解できているか(ストーリーはなんとかいけてる)と言われると怪しいものだ。ただ、日本語の作品でも、細かいところまできっちり読み込むのは簡単そうで案外難しいものなので、まいいか、ということにしている。理解できた部分でも、これまでに学んだ歴史なりなんなりの知識が役立っている部分も大きいので、英語の読解力がアップしているかどうかはやはり怪しいところだろう。

 それでも、背伸びして洋書を読み始めてよかったな、と感じる場ことは多々あった。フィッツジェラルドのキラキラした中に漂う寂しさに支配されたり、カーヴァーの短編に登場する人物の祈りに思わず引き込まれたり、オースターの幻想的な冒険世界にドキドキハラハラして時間を忘れる瞬間は「錯覚かもしれないが翻訳者の方の手を借りずに作品と向き合っている」至福の時以外何物でもないし、錯覚でもかまわない、と思えるほどである。邦訳で未読だったオースターも知ることができたし、未邦訳の米国視点での現代史モノは新鮮だった。表現も含め「読むという行為」に少し自覚的になれたのも思わぬ副産物だった。
 本の増殖もペース鈍化には成功した。それでも日本語本と読むペースが違いすぎるので、困難だろうが、いずれ洋書が本棚一竿分を占めるくらいにはしてみたいものだ。
 
 
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水滸伝と北方水滸伝

 北方水滸伝、いわゆる「大水滸伝」シリーズは、岳飛伝の文庫版リリースが始まり、文庫派としても最終盤に向かいつつある。足掛け10何年になるのか、いよいよ岳飛、という盛り上がりとともに、もうすぐに終わってしまう一抹の寂しさもある。最初は違和感たっぷりだった楊令伝もなじめば面白く、岳飛伝にスムーズにつながった。極端に解釈を変えない限り、岳飛が非業の死を遂げるという結末は分かっているわけだが、それでも登場人物たちの個性あふれる生き方にひかれてしまうのは間違いないところだろう。

 中学生の頃に吉川水滸伝を読んで以来「水滸好き」は続いていて、ちくま文庫の水滸伝に加え、杉本版、柴練版も読んできた。それだけに、北方版の解釈は大きな驚きであった。百八星が一堂に会することはないし、宋禁軍はメチャ強い。招安がない代わりにCIAみたいな組織があり、蘆俊儀は武芸が全然できず、宋江はそこそこ腕が立つらしい。楊志はすぐに死んでしまって、王進師範はずっと登場する、など原典との相違は枚挙にいとまがないが「現代においての反乱のリアリティ」は確かにある。原典みたいに、連日牛の丸焼きで宴会してたら戦には勝てんだろうな、と思う。また、百八星の後ろのほうの、原典ではほとんど数合わせのような弱キャラにもしっかりと描写があり、弱キャラだけに共感を覚えるところも多いのも魅力だ。超人的な武芸を誇る豪傑たちの戦闘シーンとともに、兄の死体を見た曹正が怒りで頭に血をのぼらせ、それがあざとなって消えない、といった些細なエピソードが、自分にとっての北方水滸伝の魅力といえよう。

 ただ日本の作家が書いてきた従来の水滸伝以上に原典から変わっているので、これだけヒットして北方版を機に原典に入る人も多かろうと想像される中、原典のドン引き描写がどう受け取られるのか興味深いところでもある。黒旋風は明らかにヒーローというよりはただの殺人狂だし、彼に世話になった知事の息子さんを殺されてやむなく百八星入りする朱同の心理はなかなか理解するのが難しい。そのあたりは中国の「天命」観なのだろうが、そこが日本人にはとっつきにくかったり、だからこそ興味深かったりする。三国志はもう日本に定着しているといってもいいので、北方版が売れることで、水滸伝も三国志並みに定着してほしい。
 

年齢と読書

  若いころは「40過ぎたら藤沢周平とか平岩弓枝とか山本周五郎あたりの時代モノを読みまくる読書生活を解禁しよう。それまでは海外・古典モノをしっかり読もう」と決めていた。もう解禁年齢に達したが「目が本格的に悪くなる前にもっと古典モノ読んどこう」となっているな。「三侠五義」あたり、ずっとよみたいと思っていた最近やっと読めたくらいだし、とても全部すくえるはずもないが、まだまだ取りこぼしているモノは多い。なかなか手が出なかったプルースト読んでおきたいな。ジョイスの「ユリシーズ」も最初はしり込みしていたけれど、読んだらやっぱり面白かったし、最後の「イエス」は結構ずっしりくるものがあった。
  フィッツジェラルドが好きになって、よりその世界を味わいたくなって、カーヴァーなどもふくめて原書も読み始めるようになったので、読みたい本が増えたし、読むべき本がどんどんたまってしまう状況は永遠に続いていくのではないかと思わされる。

 社会人になっての読書傾向は大別して
・フィッツジェラルド中心とした米文学
・岩波文庫の赤帯
・中国古典+金庸はじめ武侠モノ
・戦記、歴史系
・ライトノベル
・日本の人気作家
 というところ。古典を中心に読めている、ということは最近の流行作家さんを追いかけられていないころでもある。かなり面白いものを取りこぼしているのだろうなあ。良質な新書とか評論ものもあまり読めていないなあ。視力は下がっても、読書欲は下がりそうにない秋である。

本の話

 もうずっと本の記事を書いていないので、久し振りによかった本をとどめておこう。

 「魔法の樽」(マラマッド)  R・カーヴァーっぽい。
 「雌猫」(コレット)      戦後仏文の香りたっぷり。
 「完璧な夏の日」(ラヴィ・ティドハー) 映画化、アニメ化希望
 「棠陰比事」(桂万栄編)  中国版大岡裁きというかこっちが本家
 「TRUE TALES OF AMERICAN LIFE」(Paul Auster編) ただ「必読」としか言えない
 「ONE SUMMER AMERICA 1927」(Bill Bryson) 日本にもこういうスタイルの歴史本があったらよい
 「ORACLE NIGHT」(Paul Auster) いつものオースター。期待に違わぬ。
 「引撃/ENGINE」(矢作俊彦) 矢作ハードボイルド、好きです。
 「船を編む」(三浦しをん) 駅伝の話もそうだが、初期設定値が高いのはいかがなものか。
 「オーダーメイド殺人クラブ」(辻村深月) 最近起こった同級生殺しを想起。しかし辻村氏の力量は間違いなくいい。
 「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(増田俊也) 歴史に埋もれた武術家たちの魂の叫びが聞こえる。
 「西部戦線異状なし」(レマルク) 戦争小説の最高峰。クロップとレバンドフスキも登場。
 「暗黒事件」(バルザック) ずっと読みたかった。やっと読めた。
 「What We Talk About When We Talk About Love」(Raymond Carver) 村上春樹を過小評価する人は是非。
 「日本的霊性」(鈴木大拙) 著者の英語力が「Zen」普及のきっかけになったとも聞いた。
 「元朝秘史」 モンゴル最強
 「従弟ポンス」(バルザック) ポンス、シュムケ…(涙)
 「白銀公爵」(A・Kトルストイ) イヴァン雷帝怖い。
 「THIS SIDE OF PARADISE」(F・Scott Fitzgerald) ずっと読みたかった。やっと読めた。
 「さいごの色街 飛田」(井上理津子) ノンフィクションはこうありたい。
 「わが魂を聖地に埋めよ」(ディー・ブラウン) ネイティブアメリカンがいかに騙され、奪われ、殺され、滅ぼされていったか。
 「魔女」(ミシュレ) 中世から近世女性史としてもすぐれているのではないか。
 「春になったら苺を摘みに」(梨木香歩) 近年の小説はいかがなものかと思うが、これはすぐれもののエッセイ集。

 原書があるので読むペースが落ちてしまうが、まだまだあるので、いずれまたとどめておこう。

悪の教典

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 また読書した本を大量放置してしまった。この本は内容どうこうというより、ちょろっとだけだが「町田ゼルビア」が登場したのが驚きだった。出版当時は当然JFL、執筆当時は関東1部だったかもしれない。3部、4部チームが登場するとは日本にもサッカーが根付いてきたなあと本筋と関係なくしみじみした次第だ。まあ読者の多くは「町田ゼルビアって何?」と思ったかもしれないが。
プロフィール

蹴球四十雀

Author:蹴球四十雀
滋賀のサッカーJFLチーム「MIOびわこ滋賀」を心の底から応援しつつ、たまにフットサルで息を切らす。一方、書斎での濫読(純文ラノベ歴史ノンフィクション)や琵琶湖周辺の野山歩きもこたえられません!

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