新加入選手など

  大雪とインフルエンザを乗り越え、気が付けば開幕までもう1カ月もない。あと少しで、深緑のステージで躍動するライムグリーンの選手たちがみられると思うと春近し、を感じる。

  ブログを休んでいる間に、新卒+移籍加入選手と背番号、新体制の発表があった。新加入選手はもちろんみていないのでわからないが、活躍してくれるだろうし、長身の選手が多いのでチームの戦い方の幅が広がるのではないかと期待している。新体制では小山選手が2年目にしてキャプテン。経験豊富な永富選手、中村元選手が脇を固める格好だが、小山選手のプレーぶりや、動画などからうかがえる人となりはキャプテンに向いているように思われる。守備もそうだし、ゲームをつくる、うまく進める、という面からもチームの柱になってほしい。

  週末にはTMが組まれているようで、チーム作りは佳境に入りつつあるのかな。激しい競争をしてもらいつつ、寒さによる筋肉系のトラブルやインフルエンザには十分気を付けて過ごしてほしい。
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洋書始めてはや…

  いい歳して洋書(英語)に手を出して6年ちかく。読みこなせている自信はないが、生活の一部になってきた。まったく読まない日があると気分よく一日を終えられないので、自分なりになじんできたといっていいと思う。

  高校時代の英語は赤点乱発、英作文と発音を半ば放棄して大学受験をなんとかクリアできた程度に語学力は壊滅的。なのに身の程知らずに洋書を読み始めた理由は2つ。一つはもちろん、読んでみたいから。
  若いころから外国文学はそれなりに読んできた。その中でやはりフィッツジェラルドに惹かれたのが大きい(ドストエフスキーとかゴーリキー、トマスマンなども原書で読んでみたいのだが、英語ですら厳しいのロシア語、ドイツ語はちょっと手を出そうという気にはならない)。何度も繰り返し読んでいるうちに「元の文章はどんな感じなのだろう?」と思うようになるのは、自然なことだった。また、以前から日本の作家の作品が海外訳される、という話を聞くたびに、例えば夏目漱石の「明暗」だったと思うけど「『馬鹿かな、それとも利口かな』を『stupid or clever』みたいな感じで表記したところで、英語で置き換えているだけで、日本語の『馬鹿』と『Stupid』の意味合いはやはり少しずれるだろうし、字面や言葉の響きもふくめた味わいが伝わるものなのかな?」と素朴な疑問を抱いていた。
  それは当然自分が日本語訳で読んでいた外国文学にもいえることだ。優秀な翻訳者の方々が手がけているので、ニュアンスや味わいを外すことはないだろうし、そもそも翻訳していただかないと触れる機会さえないのだから、不遜な疑問ではあるのだが、やはり自分なりに原書にあたってみたい」という欲が出てくるのは抑えがたかった。
  二つ目の理由は、増殖し続ける本をなんとかしないといけないから。
  若いころから読み続け、本は手元に置いていきたい性分。作品や難解さによるが、休日ならば1日複数冊を読み終える、という日もあった。「ちょっとこれはな」という本を手放し、気に入った本を泣く泣く処分しても増え続ける本棚ももう限界。洋書ならば読書ペースがぐっと落ち、本の増加ペースを鈍化できる、と踏んで思い切って取り掛かることにした。

  試行錯誤したが、始める時に決めたことは大きく2つ。楽しむ、続けるために「間が空くと、語学的にも動機的にも読めなくなるので、1ページでもいいからできるだけ毎日読む」「フィッツジェラルドやカーヴァーの世界に触れたいのであって、英語力をアップさせたい(もちろんしたら嬉しい)のではないから、無理に訳さず、わからなくてもあせらない」ことを肝に銘じた。
とりあえず読み始め、最初のころは1日10ページ進むのがやっとだったが、慣れてくると数十ページはいけるようになった。日本語訳で読んでいた本もあるし、オースターのように洋書で初めて触れた作品もあり、再読もふくめれば30冊ほど読み終えたことになる。
 当然よくわからない言い回しや単語、文法は多々あるのだが、辞書を引くのは最小限度に抑えて「わかるとこだけわかればいい」のスタンスで突き進んでいる。根気のなさを「英語学習をしているのでない」という言い訳でもって、「This is a penはThis is a penであって『これはペンです』はあくまで日本語に訳した場合の表現」という論法を作り上げ、頭の中で無理に日本語に置き換えないようにもしている。ものによるが、一冊読むのに一カ月から半年というところだろう。英語学習的には間違っているのだろうし、作品をきちんと理解できているか(ストーリーはなんとかいけてる)と言われると怪しいものだ。ただ、日本語の作品でも、細かいところまできっちり読み込むのは簡単そうで案外難しいものなので、まいいか、ということにしている。理解できた部分でも、これまでに学んだ歴史なりなんなりの知識が役立っている部分も大きいので、英語の読解力がアップしているかどうかはやはり怪しいところだろう。

 それでも、背伸びして洋書を読み始めてよかったな、と感じる場ことは多々あった。フィッツジェラルドのキラキラした中に漂う寂しさに支配されたり、カーヴァーの短編に登場する人物の祈りに思わず引き込まれたり、オースターの幻想的な冒険世界にドキドキハラハラして時間を忘れる瞬間は「錯覚かもしれないが翻訳者の方の手を借りずに作品と向き合っている」至福の時以外何物でもないし、錯覚でもかまわない、と思えるほどである。邦訳で未読だったオースターも知ることができたし、未邦訳の米国視点での現代史モノは新鮮だった。表現も含め「読むという行為」に少し自覚的になれたのも思わぬ副産物だった。
 本の増殖もペース鈍化には成功した。それでも日本語本と読むペースが違いすぎるので、困難だろうが、いずれ洋書が本棚一竿分を占めるくらいにはしてみたいものだ。
 
 

水滸伝と北方水滸伝

 北方水滸伝、いわゆる「大水滸伝」シリーズは、岳飛伝の文庫版リリースが始まり、文庫派としても最終盤に向かいつつある。足掛け10何年になるのか、いよいよ岳飛、という盛り上がりとともに、もうすぐに終わってしまう一抹の寂しさもある。最初は違和感たっぷりだった楊令伝もなじめば面白く、岳飛伝にスムーズにつながった。極端に解釈を変えない限り、岳飛が非業の死を遂げるという結末は分かっているわけだが、それでも登場人物たちの個性あふれる生き方にひかれてしまうのは間違いないところだろう。

 中学生の頃に吉川水滸伝を読んで以来「水滸好き」は続いていて、ちくま文庫の水滸伝に加え、杉本版、柴練版も読んできた。それだけに、北方版の解釈は大きな驚きであった。百八星が一堂に会することはないし、宋禁軍はメチャ強い。招安がない代わりにCIAみたいな組織があり、蘆俊儀は武芸が全然できず、宋江はそこそこ腕が立つらしい。楊志はすぐに死んでしまって、王進師範はずっと登場する、など原典との相違は枚挙にいとまがないが「現代においての反乱のリアリティ」は確かにある。原典みたいに、連日牛の丸焼きで宴会してたら戦には勝てんだろうな、と思う。また、百八星の後ろのほうの、原典ではほとんど数合わせのような弱キャラにもしっかりと描写があり、弱キャラだけに共感を覚えるところも多いのも魅力だ。超人的な武芸を誇る豪傑たちの戦闘シーンとともに、兄の死体を見た曹正が怒りで頭に血をのぼらせ、それがあざとなって消えない、といった些細なエピソードが、自分にとっての北方水滸伝の魅力といえよう。

 ただ日本の作家が書いてきた従来の水滸伝以上に原典から変わっているので、これだけヒットして北方版を機に原典に入る人も多かろうと想像される中、原典のドン引き描写がどう受け取られるのか興味深いところでもある。黒旋風は明らかにヒーローというよりはただの殺人狂だし、彼に世話になった知事の息子さんを殺されてやむなく百八星入りする朱同の心理はなかなか理解するのが難しい。そのあたりは中国の「天命」観なのだろうが、そこが日本人にはとっつきにくかったり、だからこそ興味深かったりする。三国志はもう日本に定着しているといってもいいので、北方版が売れることで、水滸伝も三国志並みに定着してほしい。
 

継続選手更新など

  16年シーズン初得点の高橋選手引退は残念だが、主力だった選手の多くが契約更新してくれたのは近年にない朗報。特にルーキーながら存在感を見せてくれた大卒組が残ってくれたのは、和田体制2年目を思い起こさせるものがある。あのシーズンは結果うまくいかなかったけれど、終わり方は最高だったし、なによりチームとして「当たり前に」成長していくのだろう、という期待感にあふれていた。お金がないチーム事情もあるので仕方ないが、中口監督でもあることだし、今年こそチームとしての成熟と成長で結果を、という思いは強い。
  
 新加入選手もぼつぼつと発表されているが、やはり今のところ、元SAGAWAの宇佐美選手が驚きだ、印刷に移って一度は引退していたというので、中口監督の声掛けがあったのではないかと想像する。ブランクがあるとはいえ、黄金期の佐川を知るメンバーとしてチームにもたらしてくれるものは大なのではなかろうか。たぶん間違ってないと思うのだが、宇佐美選手は09年シーズンにSAGAWA加入で、いまだに最高水準のゲームだったと思っているアウエーSAGAWA戦で壽選手とマッチアップしていたと思う。この試合では好調の壽選手に手を焼いて退場になっていたと思うが、質の高い動きが印象に残っている。

 セレクションを経ての補強もあるだろうし、中口監督には昨季主力組と新加入組の争いをうまくチーム力に昇華してくれる手腕があると思うので、シーズンインが楽しみだ。

年末年始のサッカー雑感

 年が明けてチームも始動しているようだが、望月選手退団のリリースのみ。毎年こんなペースなので今年も気長に待つとしよう。
 年末年始はなんやかんやであまりサッカーを観れなかった。テレビで高校サッカーを2試合ほど観たのみ。放送されていた試合がたまたまそうだったのかもしれないが、技術に加えて球際の寄せの速さ、激しさもアップしていた、と感じた。この年代のベースは確実にアップしているのは間違いないと思う。
 ハイレベルなサッカーに触れる機会が少なかった一方で、低学年のサッカー大会を2日ほどまるまる観る機会があった。フットサルサイズのコートで7対7、交代など自由という形式が標準的なものなのかどうかは分からなかったが、いろいろなチームを眺めていて楽しかった。
 コートが小さいのと低学年なのでどうしても団子サッカーになりがちだが、その中でもボールを足裏でコントロールしてキープ、突破できる子はいるし、周りをみてパスを出せる上手な子もいた。狙いすましたフリーキックを決めた子もいたし、大人顔負けのきれいなセービングを披露したGKもいた。自分が近所でたまに見ている範囲だけれども、近年の少年サッカーはどのチームもドリブル指導を重視している印象がある。指導者にもよるのだろうけれど、ドリブルの種類としては宇佐美選手なんかがやるような「ボールをなめる」系統のものが多いように思うし、この2日でもそうだった。
 試合で「ドリブルでいくな、空いてるとこにパスしろ」というような指導者の方もいたが「ドリブル推奨派」のほうがやはり多かった。こういったドリブルで突破できるのは、やはり運動神経のよさそうな、やんちゃそうな、足の速そうな子がほとんどで「うまいなー」と感心するとともに「みんな似ているな」(決して悪い意味ではなく)とも感じる。
 そういった子が卓抜なプレーで目立つ中で、たぶん苦手だったのだろうドリブルはほとんどしないのだけれど、存在感を放っている子がいた。結構なぽっちゃり体型で足が速いわけでもなく、プレー中の自己主張も控えめな「大人しい子」だった。ただ、「蹴るボールの質」「見ているところ」は明らかに異彩を放っていて、この年代では珍しくぴったりのサイドチェンジ、後ろから出すロングパスをほとんど決めていた。「こんな子もいるんだなー」とほほえましく見ていたら、驚いたことに、一度だけ最前線に顔を出してボールを受けた時、DFがすぐに詰めていたにも関わらず、GKの位置をよく見てロングループシュートをあっさり決めていた。相当難易度の高いプレーにもはしゃぐでなく、仲間の祝福に照れていたところがまたほほえましかった。
 この子のプレーがもちろん素晴らしかったのだけれど、試合を見ていてそれと同等に、このチームの指導者も褒められるべきだな、と思った。ほかのプレーヤーにもそうだったが「パスをしろ」とも、「もっとドリブルで行け」とも言わず、成功したプレーはほめ、失敗したプレーは咎めず、適切な助言を送っていた。流行りのプレーに流されるのではなく、一人一人の子をしっかりみて、楽しく、自分の良さがでるプレーができるように温かく構えてらっしゃる印象を受けた。
 低学年相手に怒声を飛ばすことしかしない指導者は論外としても、「育成年代ではまずドリブル」(間違いではないにしろ)と、ついつい型にはめがちなことろで、そうではないプレーをここまで伸ばす、というのは相当に懐の広さが求められるのではないか。「上達させてあげたい」というのは指導者の本能だしそれでいいのだが、個々のよさ、楽しさを生かしながら伸ばす、というのはいうほど簡単ではない。
 いろんなチームのコーチングなどを拝見できたが、改めて子ども相手の指導は、ある意味で大人相手以上に大変な仕事だと痛感したし、現場は本当にいろいろな模索をしている。メディアでは「育成に問題がある」と大上段に構える評論家も多く、以前はそうだな、とも思っていたが、こういった場に足を運ぶようになって本当に現場をみているのかな、と疑問に感じ始めている。問題提起は必要であるが、現場で子供たちに向き合って試行錯誤している指導者を支えていく評論も不可欠であろう、と感じた年末年始であった。
 
プロフィール

蹴球四十雀

Author:蹴球四十雀
滋賀のサッカーJFLチーム「MIOびわこ滋賀」を心の底から応援しつつ、たまにフットサルで息を切らす。一方、書斎での濫読(純文ラノベ歴史ノンフィクション)や琵琶湖周辺の野山歩きもこたえられません!

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