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2018MIOびわこ滋賀 私的10大ニュース

2018年MIOびわこ滋賀 私的10大ニュース

①過去最高順位+勝ち点取得率 これは文句なし。中口さんの手腕と選手の躍動でよいシーズンを体験させてもらいました。
 
②元日本代表・高木和道選が手加入 クラブ史にとって大きな出来事でした。地元出身で代表までいった選手のキャリア終焉の地に選ばれたことは意義深く、在籍時のあれこれを財産として受け継いでいきたいところです。

③天皇杯でコンサドーレ札幌と対戦 3度目となる対J1対戦。嘉茂選手のゴールで良い試合ができたもよう。いつかはジャイアントキリングを起こしたい!

④天皇杯滋賀県代表を奪還 びわスポ大は相変わらず手強い、というか来季はもっと怖いかも。しかしその相手に勝って県内での覇権を保つことがMIOの足腰をより強くしていくことになるのでしょう。

⑤ミオナリくん誕生 宮尾先生大変ありがとうございます。

⑥久保田選手覚醒 目覚めていく過程を間近で応援できるのは、ファンとしてこの上ない幸せですな。シーズン終盤はもう貫禄すら漂っていました。

⑦上位4強から久々に勝ち点3取得(八戸より) もうすこし勝ち点のとっていける、相手に与えないようになればMIO自身の4強が見えてきます。来年も強豪揃いですが、渡り合っていきましょう。

⑧女子チーム+フットサルチーム誕生 試合を観ていないのでこの順位としていますが、サッカーの多様なあり方を確保する地域密着のクラブの使命として極めて重要な出来事と捉えています。この一事だけで以ても、MIOが滋賀サッカー界で果たしている役割の大きさを痛感します。

⑨ジュニアユース全国大会に出場 すっかり県内JYクラブの「顔」的存在になってくれたのではないでしょうか。OBの活躍もめざましいようです。近場で試合をするときは応援に行きたいです。

⑩大杉選手200試合出場達成 頼れる鉄人です。こういう働き惜しみしない選手がいてくれることがどれほど大きいか、つくづくありがたみを感じます。

番外 特命委誕生 どうなっているのか、結局どうなるのかは分かりませんが、この手の組織はまず設置されたことに意味がある場合があるのです。過大な期待はせず、いたずらに冷笑せずにみていきましょう。

 思いつく限りでこんな具合か。いい意味で今年はさほど「衝撃」の出来事は多くなかったように思う。少しずつ、地道ではあるけれどもMIOびわこ滋賀は、滋賀が誇れるクラブになっているように感じる
。マーケティングとか欧州のトレンドとかカリスマ経営者とはほど遠くても、着実に地域と歩んでいく、こんなクラブがある、やっていけることが大事なのだと思う。
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サッカーの価値と増幅

 日本サッカーは、Jリーグはいつも「人気」という命題と向き合っている。90年あたりからサッカーを見始めた私は、そう感じる。当たり前のことではある。プロリーグは、やはりなんといっても人気が大事。また代表強化という観点からも、プレーヤーとなる子どもへの普及も含めて、人気はとても重要な柱だ。
 そしてほかの競技と見比べたとき特徴的だな、と感じるのが協会、リーグ、各クラブ、選手、サポーター全てが、善し悪しや効果は別にしてもこの命題にいつも向き合い「危機感」を持っているように思えることだ。W杯で視聴率が40%を超えても、J1の平均観客数が1万9千人になっても「危機感」はあまり変わらない。近年は少子化という社会問題も加わってより深刻に考えられているようにも感じる。
 
 サポーターも含めた日本サッカーのこの姿勢は、とても良いことだと捉えている。命題に向き合い続けているからこそ、今日の盛り上がりがあるのだと思っている。地域の小さなクラブでも、サポーターまでもが集客を考えることで、より地域に根ざしている現象が全国各地でみられ、そのクラブが大きくなりJ1の舞台に立つ(松本山雅や長崎など)、ということすら当たり前になりつつある。この姿勢は捨てるべきでないし、日本サッカーの大きな武器・財産と認識している。

 近年は、嗜好の多様化やIT化の進展で、リーグ運営やクラブ経営にもより現代的な「マーケティング」の視点が求められるようになった。実際、観客増に向けて各クラブにコンサルティングやマーケティングに長けた人材が加わりつつあるし、加わらなくてもそういった分野の方々がJ人気、サッカー人気についてネットなどで発信する機会がここ数年で飛躍的に増えている印象を受ける。時代に合わせた変化であり、サッカー以外の業界の人材の力は不可欠である。実際、多彩な提言や取り組みをされており、なるほどさすがは専門家、と感心させられることしきりだ。
 ただ気になる点も出てきた。これは各クラブなどで実際に活躍するコンサル系の人材というよりは、そのフォロワーが軽い思いつき程度で発信していると見受けられるが、新規客への拡大を優先するあまり「マニアがジャンルを潰す」「サッカーは敷居が高い」と過剰なまでに繰り返す点だ。新規への拡大はもちろんいい。とうぜん施策はもっとあるべし、だろう。だが、だからといって、「コア層」「既存のファン、サポーター」を露骨に邪魔者扱いし、攻撃的な姿勢をとり、反論があれば「日本サッカーはこれだから遅れている」とするのはどうなのだろううな、と感じる。経営理論などで大局的にみれば「常連」は邪魔なのかも知れない。迷惑行為などは論外である、しかし一人一人はサッカーを楽しみにし、週末に心躍らせて家族や友人とスタジアムに向かい、生活の一部とするかけがえのない一個人である。そして、私はそんな個人が集合して作りあげる「ジャンル内の価値」は、充分に新規客にアピールするのではないか、と思うのだ。

 今年、「大迫はんぱない」がディアによく登場し、流行語になりかけた。言葉自体は10年も前のものだ。だがネットなどでサッカーファンやサポーターがことある度に使い「ジャンル内」で定着していたのはよく知っている。それがW杯を契機に世間に「溢れだ」す格好でメディアの耳目をひいた、とみている。コア層(何を以てコアか、という議論はさておく)、サポーターが面白がり、価値を見いだしたことが熱を持ち、ネットなどで共鳴、増幅することでジャンル外の人をも惹きつけることもあるように思う。ジャンル内で定着し、増幅していなければ、世間にあふれ出なかったのである。
 アイドル業界は全く無知だが、「国民的」な存在にのAKBも、熟れなかった当時のファン層の時に過激なまでの熱が「なんかすごいらしいぞ」「なんか熱い世界があるぞ」と世間に伝わり、飛躍していった面もあるように見える。
 
 「熱」を生むのは、コンサル関係者や第三者ではなく、クラブ、選手、サポーターである、ということは幾度繰り返しても繰り返し足りないと思っている。ピッチで汗をかき苦しみ、営業にまわり、駅頭でチラシをまくなど日の当たらない活動を続け、価値を生みそして増幅、共鳴させているのは彼等である。決して「クールでなければ」と宣う第三者ではない。
 私の目からみて「彼等」には、時として第三者がとるような厚顔無恥なまでの声さはない。「サッカー、クラブ人気」という命題に自覚的に向き合っているゆえ、ともすれば的外れな批判さえ受け入れようとするほど、謙虚であるようにみえる。そうした彼等が地道に作りあげてきた熱=価値は、過激な、キャッチーな言動ばかりが注目される昨今において見落とされがちである。一部をのぞいて、メディアも識者も注目しない。
 私にはなんの力もないが、そういう「彼等」が作りあげた価値に目を向け、取り上げ応援していきたいと思う。そういう姿勢を持っていたいと思う。「彼等」が作ってくれた熱=価値で人生を豊かにしてもらっているのだから。

冬の読書スタイル

 室内、それも暖かい室内に決まっている。さすがに屋外は辛い。かじかんだ手や手袋ではページをめくるのもままならない。暖房を少しだけ効いた部屋で厚手の膝掛けを使い、熱々のコーヒーを手に、ひゅーひゅーと寒風が吹きすさぶ窓外の音を聞きながら字に没頭するのは、冬ならではの楽しみだ。幸いに現在の住まいは日当たりが良く、天気が良い日には窓際でぽかぽかに包まれて寝っ転がって文庫本を開くのもまたよし、である。
 
 選択肢の少ない冬読書だが、暖かくしすぎると眠気との戦いでもある。いかにコーヒーの杯を重ねようともぬくぬくとした空気に勝てないときもある。布団やこたつを選ぼうものなら、気がついたら朝、ということもある。やはり、頭寒足熱が基本だろう。厚手の靴下は締め付けが嫌な時があるので、ふかふかのルームシューズにひざかけがいい。乾燥にも注意だ。気がついたら、のどががらがらしてしまう。コーヒーばかりをやめ、時にはショウガをいれた紅茶や緑茶で潤したいところだ。また寒いだけに運動不足になりがちでもある。たまには外に出て、きりっと澄み切った空気に触れて軽く汗ばむくらい散歩して気分転換することも、充実した読書時間には欠かせない、と感じる年になった。

 灰色の雲が低く垂れ込めていることが多い冬、春を待ちわびながらもあえて重厚で悲しい物語に浸るのもいいな、と思う。多少重たくとも、冬には冬の気分があり、しっかりと受け止めて過ごすのも、時にはいい。

宮部みゆきさんの恐ろしさ

 「レベルファイブ」あたりが読み始めで、すぐに「火車」を手に取り、顔のない犯人とその犯罪を描ききった筆力に、呆然とするほど圧倒された。以来、主要な作品は読んでいる。ミステリー分野での筆力は、他の作家さんから2つも3つも抜けていると思う。

 いうまでもなく現代、時代劇、ファンタジー系と多作で多様な作品をものしている。一口に語れるような作家さんではないのは承知の上で、私の中での宮部さんは「震えが止まらない底なしの悪」と「ささやかに抗う善」を、どこまでも対置し続ける作家さんである。
 「悪」が描かれているの作品としては「火車」「理由」あたりが最もわかりやすいだろう。悪は現代社会だけでなく、時代物にも描かれている(三島屋シリーズなどは、宮部さん流妖怪の解釈として実にお見事!改めて、もの凄い才能の作家さんだと認識した)し、近年では「杉村三郎」シリーズにその舞台は移った、とみている。

 宮部さんの描く「悪」は、犯罪行為そのもの、あるいは悪意とか心の闇とされるようなものよりも、はるかに恐ろしい。私の文章力では到底表現できないが、あえて言うなら「魔が差す」とか「逢魔が時」という時の「魔」そのものであると思う。ふとしたはずみに触れ、捕らえられると、どこまでも底なしに沈む。「魔」はこの世界から消えることはなく、逃れるすべもなく救いはない。「魔にとりつかれる」のは人間性とか、心の強さ弱さだけの問題ではない。それよりも「たまさか魔と遭ったか、遭わなかったかどうか」である。「魔」が何なのか「悪」の正体とは、という問い自体はさておいて、その意味で宮部さんの描く「悪」からは誰しもが逃れ得ない、極めて恐ろしいものだと捉えている。
 例えば「火車」では、入れ替わりを考え、殺人に手を染めた犯人の人格や行為そのものではなく、入れ替わりを思いついた、あるいは思いつくに至った「その瞬間の心の動き」が、底知しれぬ恐怖を覚える。人格は陶冶できても行為は防げても、「魔に遭うこと」を防ぐ手立てなどないからである。悪人が怖いのではなく、悪そのものが恐怖なのだ。

 この「悪」のすさまじい恐怖に対抗、というかささやかに抗うかのように、作品には数多くの「善き市井の人々」が登場する。日常を精一杯生きながら他人を思いやり、誠実であろうとする老人、若者、子どもらが。もちろん完全無欠などではなく、弱さを抱えた人々の些細なやりとりを、心温かに浮かび上がらせる筆力は、悪を描く時と同様、ここでも冠絶している。おそらく、宮部さんが好きなのはこういう世界なのだと思う。時におとぎ話のようにも感じられ、心の狭い人物を冷たく突き放す場面などは「ちょっとやりすぎでは」と思うこともある。
 ただこの場合の「善」は、あくまでささやかな抗いである。「魔」と違い、大きな力を引き起こしたり、持つわけではない。嘆き、悲しみ、寄り添うだけの「善」であることが多い。善だけで事件が解決したり、悪はなくならない。圧倒的に無力である。
 それでも「善」は、意識的にも無意識にも、人々を繋がらせる。ミステリという舞台では、謎と情報をつきあわせ、一つの決着を付けるに至る重要な鍵なのだ。そしてこの善もやはり、ささやかながらも人の世から消えることはなく、触れて目覚めることは可能な存在である。 こうした「善」を描くと、自然、そちらに惹かれてしまうものである。宮部さんの描く善は、実に深く魅力的である。そしてこれほど魅力的な善を描きながら、「悪」から目を離そうとしない宮部さんは、やはり実に恐ろしい、と思うのだ。

Jリーグが成し遂げてきたこと

 18シーズンのJリーグも終わり、今年も悲喜こもごもの感情が各地で交錯し、熱気を生んだ。J1としては平均1万9千人超の観客動員となったという。J誕生から25年、誕生年から見ている私としては、よくぞここまで、という思いが沸いてくる。一方でメディアやネットの「Jリーグ危機論」はやむことなく続いている。指摘は正しいことが多く必要だが、時に冷や水が過ぎて、折角の熱気を萎縮させてしまっているようにも思う。長いスパンで振り返えると、課題とともに成し遂げられた事がよりはっきり見えることもある。課題を指摘する人は多い。私は自分なりに成果を振り返ってみたい。

・地方での熱気
 93年の創設時、新潟や松本、長崎にサッカーのプロクラブが生まれ、万単位の集客がある、と自信をもって断言できた人がどれほどいただろう。Jの創設理念に沿えばその通りに近づいたということなのだが、93年は「ほぼゼロ」に近かった地域に、これだけの熱気が生まれている。どう考えても、相当な成果だ。とてつもない価値があることだと捉えているのだが、メディアや識者には割にさらっと流されていることが多い。派手なサッカーユニがスタンドを埋め尽くし、凄まじい歓声が沸き起こるのは、かつては海の向こうか大都市だった。今では日本各地にそんな場所がある。お金を注ぎ込むだけではつくれない、計り知れない価値である。

・下部カテゴリの充実
 J2創設の時、正直大丈夫かなと感じた。J自体の人気が危うい時期でもあり危惧の声は高かった記憶がある。確かに当初は水準的にも、人気も苦しい時期があった。「地獄」と呼ばれたこともあるはずだ。個人的な印象としては、クラブ、サポーターさんがそういった苦しい時期を「魂が磨れる場所」として前向きに堪え忍ぶうち、活躍の場所を求める若手、サッカーを続けたいベテランもJ1から加入してきた。当初は「代表までいった選手がJ2か」と驚かれたものだが、いまや当たり前どころか、J2所属のまま代表入りする選手すらいる。水準自体も「下位チームは引きこもって一か八かのロングボール狙い」から、下位チームであれ狙いのあるサッカーを展開し、上位に敢然と立ち向かう魅力的な試合をしている。世代NO1クラスのルーキーがJ2を選ぶのはもう珍しくないし、J3、J2で腕を磨いてJ1で活躍する選手も当たり前になってきた。
 そして、下部カテゴリでも時には万単位の集客だ。繰り返すが「下部カテゴリ」だ。日本のスポーツ界において、2部3部にこれだけ人が集まるのは前代未聞の出来事のはず。トップオブトップのみが社会人での競技を許されてきた、とも言える日本スポーツ界においてこの構図を作り出したのは、間違いなくJリーグである。スポーツの価値自体を高めているといっていい。

・ユース・施設
 自前で選手を育て、トップにあげることで従来の、ともすれば高校時代が頂点となる「部活」と異なる価値観をもたらした。どちらがいい悪いではない。選択肢の増加は、競技者だけでなく観る側にも多様性をもたらしたと考えている。高校生がプロの舞台でしのぎを削る光景は、J創設前にも例はあるが、今以上になかなか想像しにくかった。若年代が躍動するテニスやフィギュア、将棋などともに、年代で区切りがちな日本社会にも風穴を開けつつあると思う。
 
 東京・大阪ならばともかく(ときに両都市でも)、サッカー、ラグビーは陸上競技場で観るのが当たり前だった。Jリーグが社会に根ざしていくことで遅々とではあるが、専用スタジアムや天然芝の魅力や必要性にスポットが当たり、最近では東京五輪の施設整備議論ともあわせて「スポーツ施設とはなにか」「スポーツの必要性とはなにか」という、日本のスポーツ界において極めて重要な問いをもたらしてくれている。費用負担をめぐり時にサッカーが矢面に立つことが多いが、球技場整備はラグビーなどにも有益だし(なのでちょっとは助けてほしいなあと)、亀岡スタジアムのように国際規格のクライミングウオール併設、あるいは長崎の構想のように、従来の「スポーツをするだけの場所」にとらわれない、多様な価値をもたらす可能性に溢れている。

 まとめ
 私はJリーグでは浦和びいきだが、主にMIOびわこ滋賀を応援していることもあって、浦和の試合はもう10年以上スタジアムに行っていない。近くということもあり、サンガやガンバの試合には年何回か足を運ぶが、おもにJリーグはテレビで観ることが多い。Jリーグ好きだが、いわゆるサポーターではないと思う。
 そんな私にとってJリーグが成し遂げてきたことは、紛う方なき「功績」だ。そしてこの功績は、「鋭く課題を指摘する」ことしかしない識者やメディア、コンサルタントやマーケッター、海外との比較だけを行う論者によってもたらされたのではない(もちろんきちんと評価してくださる方も多い)。
 時につぶれそうになりながらも地域で盛り上げを工夫し汗をかいてきたクラブ、過酷な待遇、生存競争の中でピッチを全力で駆けた選手・スタッフ、そして負けが込んでも、心ない揶揄にさらされながらも、目の前のクラブを、選手を愛し続け、スタジアムで、テレビの前で、見守り、声援を飛ばし続けてきたJリーグ各チームのサポーターさんによるものだ、と思っている。「彼ら」がいなければ、どれだけお金をかけても、今のJリーグは、日本のサッカーはなかった。
 だから私はほかでもない「彼ら」に、この上ない敬意を払う。そして「彼ら」が報われることがもっと多くていい、と思う。そういう意味でも、Jリーグが成し遂げてきたことに光を当てることは、意味がある、と確信している。
プロフィール

蹴球四十雀

Author:蹴球四十雀
滋賀のサッカーJFLチーム「MIOびわこ滋賀」を心の底から応援しつつ、たまにフットサルで息を切らす。一方、書斎での濫読(純文ラノベ歴史ノンフィクション)や琵琶湖周辺の野山歩きもこたえられません!

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